当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
男の子であれば小さい時ショベルカーやブルドーザー等に憧れを抱いた経験は有りませんか?
実際に運転できる人は限られる訳ですが模型を組立したり、鑑賞したりする事で幼い頃の憧れを趣味という形で楽しむ方が増えているようです。
そんな趣味を仕事にしてしまった重機模型マニア『高石賢一』さんの紹介です。
2023年1月23日のテレビ番組『クレイジージャーニー』にて特集されました。
お店の紹介等も考えてましたが高石さんの年齢や3つのミニチュア建機愛について紹介していきます‼︎
高石さんの年齢は非公表だが60代半ば~70代と推測
紳士な高石さんですが年齢は非公開とのことで確認する事ができませんでした。
上記動画を見るからに外見から見るに60半ば~70歳では無いかと推測しています。
プロフィール
重機模型マニアの高石さんの気になるプロフィールをまとめました。
既婚者である
高石さんは既婚者のようです。下記サイトの取材でアメリカに新婚旅行に行ったと発言されています。
「アメリカなんて新婚旅行でちょっと行きましたけれど、サラリーマンにはそうそう行ける時代じゃありませんでしたし、なにより憧れの地でしたからね」
ケンクラフトのケンさんは今日もミニチュア建機で人々に“幸せ”を売る【前編】 (resocia.jp)
【建機愛⓵】世界のコマツをも動かす高石さんのミニチュア建機模型愛
高石さんが建機模型を販売し始めた時代は模型を市場に流通させないメーカーも多い状況でした。
その中でも日本が世界に誇る建機メーカー『コマツ』。
店での取り扱いをしたい為、直接コマツへ電話をかけ面談する機会を設ける事ができました。
「御社のミニチュア建機はグローバルでない。」
面会時に高石さんが放った言葉のようです…
コマツに対して普通はそんな発言できないよ…
「まず縮尺が違います。御社は1/40ですが、海外はみんな1/50です。
御社はおもちゃっぽいんですが、海外のメーカーはすごく精密なものを作ります。
精密なミニチュア建機をもらった人は、どんな印象を抱くと思いますか。
『コマツは模型のメーカーじゃないけれど、模型もしっかり作れる会社なんだ』と思うでしょう。そうすると本物の機械の印象も良くなる。それがメーカーの“演出”なんですよ。
忖度無しで助言できる高石さんは凄い。
模型を愛するからこそでしょうか…
コマツの担当者は深く納得して、なんとその場で、翌年デビューする新型モデルのミニチュア建機制作を高石さんに委ねてきたようです。
高石さんはさっそく試作機を工場で取材、図面を確認し、写真を撮って、信頼できるドイツの模型メーカーに制作委託を持ちかけた。そして10か月後、ケンさんのイメージ通りの建機ミニチュアができあがった。
そこからコマツを含むすべての日本のミニチュア建機は、すべて1/50になったのである
。建機メーカーを動かすほどのエポックメイキングな流れをつくったのは、高石さんのミニチュア建機への愛とこだわりだった。
【建機愛②】建機愛が凄すぎて書籍も多数出版‼
重機好きの高石さんですが書籍も多数出版されております。
筋金入りの建機愛が伝わりますね‼
いくつかご紹介致します。
【建機愛③】ミニチュア建機を販売し購入者を喜ばす演出愛‼
ミニチュア建機好きであるからかもしれませんが、どのように写真を撮れば喜ばれるかを常に考えられている高石さん。
下記Instagramを右に2つスクロールしてみて下さい。
※表示されない場合はクリックするとInstagramに繋がります。
普通の1/50スケールの模型ですが、クレーンのブームの高さが最大2600mm有る事を自分が一緒に映る事でインパクトを与えています。
背景にも工場が映っている為、1枚目のスケール感が1/50で有る事を一瞬忘れてしまう…
3枚目で自分が映る事でスケール感にインパクトを与える演出ができています。
このように楽しませる演出ができるのも高石さんだからでは無いでしょうか?
ミニチュア建機模型が好き過ぎて模型店を開いてしまった筋金入りの模型マニア‼︎
異業種から模型の仕事に関わるまで
印刷会社に勤務をして社会人をスタートさせた高石さんでしたが、当時愛読していた自動車雑誌でタミヤからプロター(イタリアの模型メーカー)に移って設計の仕事をしていた方がつくった、モトグッチというバイクの模型の記事を読んだ事がキッカケとなり、模型の仕事を志します。
雑誌の問い合わせ先に電話をかけ『模型の設計』の仕事を希望するも模型の金型屋を紹介されたそうです。
当時24歳で文系出身の高石さんですが、模型の世界に飛び込む行動を起こされました。
「KEN CRAFT」の始まりですね…
勤務先ではアメリカの模型メーカーから金型製作の請負をしていた事からフライス盤やボール盤の使用。金型の磨き作業まで経験をされます。
プログラミングの専門学校にも通い、企画室へ配属となる。トヨタ・ハイラックスの図面を描く所まで一任されていました。
残念ながら企画室は解散となったようで模型メーカーへ転籍をされ、商品企画のや製作説明書の作成業務を任されます。
スワップミートでの出会いがミニチュア建機模型を販売するキッカケとなる
アメリカの模型メーカーであるレベル社の輸入販売をするにあたり本場のシカゴへ何度か足を運ぶようになった高石さん。
現地の模型雑誌に、スワップミート開催の告知広告を目にする。いわゆる模型・オモチャのフリーマーケットにあたります。
会場は体育館のような建物の中で、出展者数も200程度。
日本人なんて誰もいない。本場のスワップミートに大興奮し高石さんはイベントレポートを日本の模型専門誌に寄稿しています。
本場のスワップミートってどんな雰囲気なんだろう…
一度は行ってみたい。
当時はインターネットも無い時代でしたので、簡単に情報を入手できない状況でした。
何度か本場のスワップミートに参加をして出会ったのが『ミニチュア建機模型』でした。
精密な模型が好きだった高石さんですが、品質に納得して日本のお客さんに広めたい思いからお店を出店する事を決意されます。
これは金型製作会社で働き機械加工や商品企画に携わった経験が有ってこその判断だと思います。
まとめ
以上で高石賢一さんについての紹介を終わります。
人にどう魅せたら喜ばれるか…楽しめるかは自分自身が好きで楽しめないと始まらないのかもしれません。
とても魅力的な方で今後の更なるご活躍に期待ですね。
コメント